はじめに
ねこちゃんは、猫のぬいぐるみである。およそ四半世紀、私はそう認識しながら彼女と一緒に居続けた。お耳は三角で、尻尾も長い。両親曰く、幼い私は彼女のことを"にゃお"と呼んでいたという。
時を経て、大人になった私はInstagramを始め、ねこちゃんの写真を撮っては投稿し、日本のみならず海外のぬいぐるみ好き達とも交流を深めるようになった。そんなこんなで、友人や知り合いの前でもねこちゃんでいっぱいのカメラロールをスクロールしている際、こんなことを言われる瞬間が多々あった。
「くまちゃ......ごめん!ねこちゃんだったね」
「くまちゃんに見えるなぁ」
「くまちゃんじゃない、ねこちゃん!ねこちゃん!」
........くまちゃんに、見えるのか。ずっと猫だと思って接してきたねこちゃんを、"くまちゃん"だと認識する、その視点は私にとっては非常に新鮮であった。くまじゃないもん!と苛立つのではなく、なぜねこちゃんが"くまちゃん"に見えるのか、主に見た目という観点から「お耳のかたち」と「顔立ち」の2点に焦点を当て、一度考えてみることにした。
お耳のかたち
猫の耳といえば、スコティッシュフォールド等の品種を除き、耳がピンと立っているイメージが強い。図形に例えると三角形である。小さい子が描く絵の猫も、耳が鋭く尖っていることが多いだろう。
ねこちゃんも例に漏れず、お耳がピンとしている。しかし、見方によれば、くまの耳に見えてしまうのかもしれない。猫の耳がピンと立っている一方で、くまの耳は丸い。テディベアのくまも、ゴールデンカムイのくまも、本物のくまも、みんな丸い。
ちょっと見せてごらんなさいよ、とねこちゃんにお耳を見せてもらう。
ピンと立ってはいるが、よく見てみると経年劣化のため若干丸い印象もある。
この丸い印象が前述のくまを彷彿させ、ねこちゃんがくまちゃんと呼ばれるに至るのかと私は推測した。
顔立ち
よくねこちゃんの顔を眺めてみる。まぁ、くまっぽくも、見えるっちゃ見えるかな?と思う瞬間がある。これは周りに影響されてそう感じているということではない。私自身が思ったのである。
横顔を確かめる。本物の猫の場合、鼻先がツンと突出しており、顔立ちがシュッとしておりシャープなイメージを持つ。一方、ねこちゃんは、横から見るとぺったんこである。ぺったんこな点に加え、お鼻周りが丸っこくぽてっとしている点も猫っぽさよりもくまっぽさを強くしている要因なのではないかと私は考える。
まとめ
以上の点から、ねこちゃんは猫のぬいぐるみだけれども、くまのぬいぐるみに見えなくもないということについて考えた。ねこちゃんは猫のぬいぐるみであるが、時々くまちゃんに見える人もいる、様々な視点は様々な知見をもたらすのではないかということについて改めて考える機会になった。