幼卒のブログ

幼卒です、でも院卒です。はい謙遜です。

みんなご飯って何食べてますか?

定時退勤に対する熱意が段違いな職場に転職しました。よくやったぞ私。

上記の背景により、家事をこなす気力、メリハリ、しっかりとした睡眠を得て好循環の中で生活を営んでいる。前職ではうつ状態になり休職し、復職後の鬱病発症を恐れながら復職してすぐに亡命するかのように転職してしまったが、良いこと尽くしで良かったなと思う。

転職後の大きな変化を挙げるとしたら、お弁当を作って持っていくようになったことである。日々の好転により調子に乗り、蓋にビション・フリーゼの可愛い犬ちゃんが描かれているお弁当箱を衝動買いしたことをきっかけに毎朝お弁当を用意するようになった。これをきっかけとした自身の自炊事情について綴りたい。

f:id:nsandkitty:20240630144954j:image

 

幼少期は、母が専業主婦であったこともあり、ほぼ毎食異なるメニューのご飯が出されていたことを記憶している。そんなこともあってか、大学進学を機にひとり暮らしをするようになってからは、毎食違うものを食べ、お皿を複数枚並べていた。準備することに大変さを感じていた、少し無理をしていたなと当時を振り返る。料理の上手な大学の同期がSNSに挙げている一汁三菜の写真を眺めながら、そこまで料理が得意ではない自身との間の"差"を勝手に感じていることもあった。

変化が生じたのはお弁当箱を買った最近のことである。電車通勤からバス通勤へ変わり、家を出る時間が早くなった。これに伴い、朝食は身支度をより効率的にこなす必要が生じた。この様な状況で、朝食と昼食で食べる食品は主に下記3点にしぼるようになった。

  • ご飯(無洗米)
  • ゆで卵
  • もやし

前日の夜に無洗米を1~2合と水をおかまに入れてセットし、朝はお弁当を詰めながら茹で作業に徹することが出来る最強の体制を築き上げた。朝昼用の卵2つを茹でたのちにもやしを1袋分を茹で、半分はお弁当箱に詰めて、もう半分は小鍋の中に残したままそこに味噌を入れて朝ご飯の味噌汁にする。食品を詰めたお弁当箱を冷蔵庫に一度入れ、朝ご飯を味わる。完璧な手際である。

f:id:nsandkitty:20240630144849j:image

自炊について、自分の食べたいがままに外食では味わいきれない好みの要素を全て凝縮したような料理を作ることを楽しむレベルに私は到達していない。これはM2の頃にストレスでご飯が食べられなくなり、前職でも同じ状態となって再認識したことであるが、食事は私の人生における重要事項ではないのかもしれない。食べなきゃ人は当然死んでしまうが、食事が人生における大いなる楽しみというわけでもない。こんな感じの人間であるせいか、毎食同じ品目やメニューをジリジリと食らい続けることが出来るのかもしれない。

 

平日は基本、米と卵ともやしばかり食べているため、退勤後スーパーに寄っても基本的にもやしぐらいしか手に取らず、もやしを片手にレジへ直行してしまう。シンプルライフと言えば聞こえがいい。

自炊というとどのようなものをヒトは日々食べているのか、不特定多数のみんなにも聞いてみたい。

f:id:nsandkitty:20240630145219j:image

GWは不揃いバウムを食らいながら米原万里を読め

--------------------------以下の文章、プライベートのFBより引用---------------------------

節目の投稿。ちまちま書いていたのでもうご存知の方も多いと思いますが、大学院を修了して新卒で勤めていた職場を退職しました。外国語系の大学で大学職員をしていました。

写真は、勤めていた3年とちょっとの間、私を支えてくれた米原万里によるエッセイのひとつ「空気のような母なる言葉」です。母語と外国語習得について、非常に大切なことが書いてあります。f:id:nsandkitty:20240504191444j:image

*GW暇な奴は全員読め。MUJIBOOKSの米原万里のうっすい文庫にも収録されているから、どうせ暇なんだからみんな無印に行け。

初めてこのエッセイを読んだのは、確か大学院修了前だったと思います。読んだ後、ぐっさり何かが刺さったような気分に陥りました。在学中、英語によるディスカッションで言葉が出ず、もしかして自身のベースにある日本語が拙いのでは….??と推測したが全くその通りだったことに気づいたからです。外国語の習熟度合いは母語の習熟度合いに比例するんだから、そりゃ下手くそなわけだわと、出来の悪かった自身について修了直前の最後の最後に伏線を回収してしまいました。

そんなこんなで入職するほんのちょっと前に、外国語が読めて喋れることに対してやれすごいやれ国際的だと称賛する層を冷ややかな目で眺める捻くれた人間が完成してしまいました。外国語ができるだけではなんも面白くないし、母語を蔑ろにして血眼で外国語を勉強することの意義が理解できなくなりました。それでも、外国語習得のみならず自身の中身を養い、更なるインプットやアウトプットの土壌を作っていくという意識が芽生えたので、こんな風になっちゃったけれど今のような自身になれてよかったなと思っています。
中身空っぽの人間から出てくる言葉からは何も捉えることができない。様々な学びやネタをこれからも自身の中にこさえていきたいなと思います。

まぁ何が言いたいかっていうと、無印の不揃いバウム、めっちゃ美味しい😋👍🏻

甘いルージュ

 母曰く、幼少期の私は苺を食らうと風邪を引かなかったという。本当か.....?私は覚えていない。

 ショートケーキのてっぺんの苺を最後までキープしていたかと思えば、クリスマスケーキを作るためにボールいっぱいに用意された苺をつまみ食いし出して止まらず、半分以下の量になるまで食べてしまったこともある。間違いなく苺の季節の冬において、私の身体の大部分を苺が構成していることが考えられる。この点は小さいときから現在に至るまで変わらない。

 つい先日、用事がてら横浜に行ったついでに赤レンガ倉庫に寄った。目的は苺である。ストロベリーフェスティバルが開催されていた。苺だらけのここは天国か、地獄のような混雑っぷりだったけど。

苺の妖精みたいな服装のねこちゃんも連れて行った。苺の被り物で耳が完全に隠れていてねこなのか何なのかひと目見ただけでは判別できない。取り敢えず苺の妖精っぽい何かだ。

 奇しくも、この苺の被り物を購入した場所も、赤レンガ倉庫であった。内藤デザイン研究所のショップがあり、店員さんのお姉さんの前でボロボロのねこちゃんを出して試着をした瞬間が小っ恥ずかしかったのをよく覚えている。この被り物を買った後、DAISOで購入した苺柄プリントの生地を大胆に使ってドレスを作ってあげた。夏になる前のことだったと思う。しっかりシーズン外であった。

 

 ストロベリーフェスティバルの話題に戻ろう。

会場には苺を使った沢山のスイーツが大結集していた。定番のパフェやケーキ、またサンドウィッチや、スイーツ以外では苺のモチーフを使用した雑貨も販売されていた。

お店も人も数えきれない。何を食べようか迷いながらぐるっと一周、会場内を彷徨い歩いた。

 悩みに悩んで、最終的に、選ばれたのは苺でした。

スイーツを選ばず、素の苺を味わう。我ながらストイックなチョイスである。白い苺は淡雪、赤い苺はロイヤルクイーン。白い苺を、人生で初めて食らった瞬間であった。白い苺の甘さに気付くまでに、27年かかりました。

美味しすぎてついねこちゃんにもあーん、をしてしまった。既に開き直っているが、端から見たら私はヤバい奴なのかもしれない。もしねこちゃんがこの瞬間に、ワーイと喜んで苺を頬張ったら、私と同じように苺を味わい楽しんでいたら、この景色に完全に溶け込めたのだろうか。思い出すと、ふと切なさを感じてしまう。

 

 前述の内藤デザイン研究所のショップについて、苺を食べた後に倉庫内を覗いてみたけれどなくなっていた。閉店してしまったそうだ。寂しいが、苺の被り物を買った瞬間の思い出を噛み締めて、ねこちゃんはまた苺の妖精になるだろう。

 次の苺の季節にはねこちゃんと一緒にいちご狩りに行きたい。ねこちゃんは練乳係ね。

夏の装い

 ねこちゃんの写真をひたすら投稿するInstagramのアカウントを作成して以来、もうちょっとおしゃれなお洋服を着させてあげたいなと考えていた。

f:id:nsandkitty:20230804162902j:image

万年おぱんつ小僧のねこちゃん。このピンクのおぱんつは、確かかつて持っていたおジャ魔女どれみのハナちゃんが履いていたものである。経年劣化により毛が抜け落ち、腕など身体全体が貧相になってしまったねこちゃんをこのおぱんつが包み込んでいた。そんなおぱんつも、次第に薄汚くなり、ゴムの部分はヘロヘロに伸び、究極は背中部分でクリップを使用し詰めて留めている始末である。

 これは可哀そうだと思い、お洋服を作り始めておよそ2年目、今夏のサマードレスはいちご柄。

f:id:nsandkitty:20230804162946j:image

私自身の大好物、でも季節柄、食べる機会があまりない。そんないちごをねこちゃんに纏ってもらった。生地はフラッと立ち寄ったダイソーで発見し、ひと目惚れしたものを使用。ふんわりとしつつも、風通しの良さを意識しながら仕立て上げてみた。

 

f:id:nsandkitty:20230804163008j:image

 ヘッドドレスはシュシュ。スカーフやリボンは用意したことがあるけれど、シュシュは初挑戦だった。髪を結ばなくちゃいけない時には拝借しようと思う。

 

f:id:nsandkitty:20230804163218j:image
f:id:nsandkitty:20230804163214j:image

 因みに昨年作成した夏服も掲載する。自在に結べるスカーフも大好きだ。この時のお洋服は、ワンピースとジャケットが確かGUのブラウス、スカーフがZARAのブラウスで、どちらもかつて自身が着ていたものである。自身もお洋服が好きなので、ねこちゃんもおしゃれを楽しんでくれればいいなと思う。

考察: ねこちゃんは"くまちゃん"なのか?

はじめに

 ねこちゃんは、猫のぬいぐるみである。およそ四半世紀、私はそう認識しながら彼女と一緒に居続けた。お耳は三角で、尻尾も長い。両親曰く、幼い私は彼女のことを"にゃお"と呼んでいたという。

f:id:nsandkitty:20230729231447j:image

 時を経て、大人になった私はInstagramを始め、ねこちゃんの写真を撮っては投稿し、日本のみならず海外のぬいぐるみ好き達とも交流を深めるようになった。そんなこんなで、友人や知り合いの前でもねこちゃんでいっぱいのカメラロールをスクロールしている際、こんなことを言われる瞬間が多々あった。

「くまちゃ......ごめん!ねこちゃんだったね」

「くまちゃんに見えるなぁ」

「くまちゃんじゃない、ねこちゃん!ねこちゃん!」

........くまちゃんに、見えるのか。ずっと猫だと思って接してきたねこちゃんを、"くまちゃん"だと認識する、その視点は私にとっては非常に新鮮であった。くまじゃないもん!と苛立つのではなく、なぜねこちゃんが"くまちゃん"に見えるのか、主に見た目という観点から「お耳のかたち」と「顔立ち」の2点に焦点を当て、一度考えてみることにした。

 

お耳のかたち

 猫の耳といえば、スコティッシュフォールド等の品種を除き、耳がピンと立っているイメージが強い。図形に例えると三角形である。小さい子が描く絵の猫も、耳が鋭く尖っていることが多いだろう。

 ねこちゃんも例に漏れず、お耳がピンとしている。しかし、見方によれば、くまの耳に見えてしまうのかもしれない。猫の耳がピンと立っている一方で、くまの耳は丸い。テディベアのくまも、ゴールデンカムイのくまも、本物のくまも、みんな丸い。

 ちょっと見せてごらんなさいよ、とねこちゃんにお耳を見せてもらう。

f:id:nsandkitty:20230729231523j:image

f:id:nsandkitty:20230729231536j:image

ピンと立ってはいるが、よく見てみると経年劣化のため若干丸い印象もある。

この丸い印象が前述のくまを彷彿させ、ねこちゃんがくまちゃんと呼ばれるに至るのかと私は推測した。

 

顔立ち

 よくねこちゃんの顔を眺めてみる。まぁ、くまっぽくも、見えるっちゃ見えるかな?と思う瞬間がある。これは周りに影響されてそう感じているということではない。私自身が思ったのである。

f:id:nsandkitty:20230729231724j:image
f:id:nsandkitty:20230729231716j:image

 横顔を確かめる。本物の猫の場合、鼻先がツンと突出しており、顔立ちがシュッとしておりシャープなイメージを持つ。一方、ねこちゃんは、横から見るとぺったんこである。ぺったんこな点に加え、お鼻周りが丸っこくぽてっとしている点も猫っぽさよりもくまっぽさを強くしている要因なのではないかと私は考える。

 

まとめ

 以上の点から、ねこちゃんは猫のぬいぐるみだけれども、くまのぬいぐるみに見えなくもないということについて考えた。ねこちゃんは猫のぬいぐるみであるが、時々くまちゃんに見える人もいる、様々な視点は様々な知見をもたらすのではないかということについて改めて考える機会になった。

 ねこちゃんはねこちゃんであるが、取り敢えず一緒に宇多田ヒカルの『ぼくはくま』を一緒に歌いたいなと思う。

御成町のヒーリングスポット

神奈川に帰省すると車の運転の練習を兼ねてよくドライブをする。普段はひとり暮らしで車を持たず、ペーパードライバーになってしまうことを危惧する父がドライブ(運転はほぼ私)に誘ってくれる。

お気に入りの道路は国道134号線、海をチラッと眺めながら前の車にぶつからないようちょっとずつブレーキを踏みながら運転をするあの時間が大好きだ。また、母校の高校の最寄り駅を横に通り過ぎる瞬間も非常に感慨深い。高校生だった時はいつもあの駅で江ノ電を待っていた。時が経過し、既に高校を卒業したが、あの電車の車窓より眺めていた海沿いの道を自身で運転している。波立つ海はあの時と変わらない。

先日のGWも普段の帰省時と同様に、お気に入りの海沿いを運転した。七里ガ浜のBillsでパンケーキを食べたかった。パンケーキを食べたくば自ら運転すべし、これが我が家の方針である。しかし、走りながらその願望は無念にも散った。GW故に、車を走らせながら遠目で見て分かるくらいの長い行列が形成されていた。Billsは建物の2階にあるが、その2階からずっと列を成しており、相当な長さであると容易に推測できた。瞬時にパンケーキは無理と判断してそのままBillsを通過し、鎌倉方面へ更に走り続けた。

 

鎌倉に到着して車を停め、踏切を越えて御成方面へポテポテ歩いてみると、スーププレートとカレーの看板を見つけた。美味しそうでは、と父を誘い、緑に囲まれた建物の中に入った。

f:id:nsandkitty:20230709004822j:image

f:id:nsandkitty:20230709004855j:image

大きなガラスに囲まれ、外の植物たちが店内を彩り、非常に落ち着きのある空間であった。どことなく、高校生の時に合唱コンクールで訪れた鎌倉芸術館を彷彿させる。ここで本を読みながら時々外を眺める、これをずっと繰り返したいなとふと思った。

店内には飲食スペースのほか、お洒落なジュースや雑貨の陳列スペースもあった。ゆずやまっちゃといった珍しい味の羊羹が置いてあったことをよく覚えている。

f:id:nsandkitty:20230709004938j:image

朝ご飯はカレーとコーヒー。カレーは絶妙にピリッと辛く、美味しかった。また具沢山でじゃがいもやニンジンがゴロゴロしていてしっかり食べ応えがあった。日頃、ご飯と根菜一品のみの味噌汁ばかり食べているため、沢山の食べ物がひとつに凝縮されている食事が久しぶりかつちょっと新鮮であった。コーヒーも非常に香りも味も良く、食後にゆっくり落ち着くことができた。

 

食後、GW故の混雑に巻き込まれることを避け、速めに帰宅した。次は夏辺りにもう少しじっくりと鎌倉を楽しみたい。

 

27回目のお誕生日

 今月8日に27回目の誕生日を迎えた。歳を重ねると自身の誕生日の特別さが薄れていくと言う人も中には居るが、相変わらず誕生日を迎えることにワクワクし、この先もずっとワクワクし続けたいなと思う。誕生日は、自身の1年における大事な節目であると考えると、この日が何でもない日になってしまったら自身の人生が平坦で退屈なものになってしまわないかと心のどこかで恐れている。

 誕生日当日、お仕事を休み、全てのものから距離を置き、ねこちゃんをバッグへ忍ばせ、横須賀線に飛び乗り横浜へ向かった。職場の最寄り駅を乗車している電車が通過する瞬間、声を上げて「バイバイ!」と言いそうになったがグッと堪えた。

 

 ねこちゃんにはお着物を着せてあげた。赤色ベースの花柄の生地を使った手作りのお着物である。頭のリボンもお着物と同じ生地で揃えた。襟のフリフリは津田沼ユザワヤで切ってもらい購入。和洋折衷、特に襟が天正遣欧使節を彷彿させる。

f:id:nsandkitty:20230625175014j:image

f:id:nsandkitty:20230625175044j:image

 ねこちゃんを携え、私はホテルニューグランドのザ・カフェにてプリンアラモードを食べた。プリンアラモード発祥の地のプリンアラモード、ずっと食べてみたかった。念願のプリンは、この世のプリンとは思えないぐらい美味しかった。絶妙な固さで、卵がギュッとしていた。

f:id:nsandkitty:20230625175230j:image

 複数人で食事を楽しむ人たちが多く見られたが、中にはコーヒーを飲みつつ本を読む人もおり、素敵な空間だなと感じた。次食事に来た際は、窓側の席で山下公園を眺めながらゆっくり過ごしてみたい。

f:id:nsandkitty:20230625175259j:image

 

 ザ・カフェを出て、ちょこっと山下公園をお散歩した後、横浜人形の家にて企画展「ぬいぐるみのげんざち」を鑑賞した。様々なぬいぐるみ作家のぬいぐるみたちと、ぬいぐるみとその持ち主のエピソードが展示されていた。

「いい歳してまだぬいぐるみか」

と母親に言われ続けていたが、ねこちゃんが可愛くて、一緒に居るのが楽しくて、吹っ切れて一緒に外に遊びに行くようになり現在に至る。出会っておよそ四半世紀、これからもねこちゃんと一緒に色々な物事を楽しんでいきたい。

f:id:nsandkitty:20230625175353j:image